フランク・ロイド・ライト
フランク・ロイド・ライトは、海外の建築家の中でも、日本との関わりが最も深い建築家の一人と言えるでしょう。フランク・ロイド・ライトにとって、転機となる建築「旧帝国ホテル」が日本にあると言うだけでなく、フランク・ロイド・ライトの住宅設計のベースが日本の建築によってインスパイアされたことも知られています。
同時代の機能主義建築家とは異なる「有機的な建築」は、これからの私たちに必要とされているデザイン手法なのだと思います。
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これだけ多様で、そしてユニークなデザインが、たった一人、
フランク・ロイド・ライトの頭の中から発想されたのです。
| フランク・ロイド・ライトは、日本では、旧帝国ホテルの設計者として有名。現在、愛知県犬山市の明治村に、その一部が移築保存されている帝国ホテルは、決して威張った所のない、人にやさしい建物だと感じる。だからこそ、この建物が、ホテルという機能を持ち続けて生き残ることができなかった、日本の状況(1967年取壊し)が残念でならない。これがアメリカやヨーロッパであったらどうだろう。ホテルとして、大事に扱われていたに違いない。そこらへんの話は、取り壊し当時にも議論され、こちらで詳しく紹介されている。 現代でも、こうした名建築を大事にしない状況は変わらない。建物の価値を経済性でしか見ない日本の文化は、本当に残念だ。 フランク・ロイド・ライトは、近代建築家としても、異才をはなっている。近代建築家の巨匠として並び評されるミース・ファン・デル・ローエやル・コルビュジェよりも約20年早く生まれ、彼らが建築デビューする時には、すでに相当のキャリアを積み、生涯に設計した建物も遥かに多い(800件以上も計画し、約半数の400棟を実現している)...フランク・ロイド・ライトは現場を知るプロである。 機能主義が問題視される以前...機能主義や国際建築が誕生する以前から、フランク・ロイド・ライトはアメリカ人による、アメリカ人のための、アメリカの風土にあった建築を目指している。その時のひらめきの元になったのが、日本建築であったことも面白い。 フランク・ロイド・ライトの描く都市には、田畑が描かれている。彼のつくった学校では、自然との関わり方を教える。これは、機能主義全盛期の時代には、異端とされることになる。 クライアントの妻と駆け落ちし、そこまで愛した妻を殺され、仕事を失い、周りから避難され、様々なトラブルに巻き込まれながら、それでも90歳で死ぬまで、迷うこと無く設計を続ける...。建築家とはタフでなければ勤まらない仕事だ。 | ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
写真:Frank Lloyd Wright Home and Studio Foundation
フランク・ロイド・ライト 略歴[Frank Lloyd Wright (1867〜1959)]フランク・ロイド・ライト、本名フランク・リンカーン・ライトは、1867年6月8日(1869年とされていることが多いようですが)、ウィスコンシン州リッチランド・センターで、音楽家で説教者であった父親ウィリアム・キャリー・ライトと教師であった母親アンナ・ロイド=ジョーンズの間に生まれました。アンナ・ロイド=ジョーンズは幼児教育の重要性を認め、幼いフランク・ロイド・ライトに絵や幾何形体を使っての訓練をしていたといわれます。そのことが、建築家としての素養の元になったと、彼自身が語っています。また、フランク・ロイド・ライトは、ウィスコンシンの近くのスプリング・グリーンのおじの農場での生活が、彼に影響を与えたとも語っています。 フランク・ロイド・ライトはウェールズ人の資質を受け継ぎ、またユニテリアン派教会の熱心な信者でもありました。 マディソン高等学校を卒業後、シルスビーの事務所で働くためシカゴに行き、1887年には、ルイス・サリヴァンの下で働くことになります。フランク・ロイド・ライトは、サリバンのことを「最愛のマスター」と呼び、彼の建築家としての考えを発展させていきます。1889年には、最初の妻キャサリンと結婚。サリバンの事務所を辞める頃に、自邸を設計します。そして1893年、26歳の時に、フランク・ロイド・ライトは自分の会社をスタートさせます。1893年から1901年の8年の間に、49の建物を設計し、この間、「プレーリーハウス(大草原の家)」の構想を固めていきます。1909年、彼は「プレーリーハウス」を完成させます。 1909年に、クライアントの妻チェニー夫人と駆け落ちし、その後、おじのスプリング・グリーンの農場の近くでタリアセンをつくり、そこで生活をはじめます。1914年、気の狂った使用人に、タリアセンに火をつけられ、家族を殺害されてしまいます。 1914-1932年の間は、フランク・ロイド・ライトにとって、混乱期であり転換期でもありました。フランク・ロイド・ライトはタリアセンを再建し、3番めの妻(Olgivanna Milanoff)と結婚します。この期間中、帝国ホテルの設計と監理が主な仕事となります。 タリアセン・フェローシップは、フランク・ロイド・ライトの下で学びたいと考えた30人の初心者と共に1932年に設立されました。また、自叙伝を書いたことで、宣伝になり、フェローシップのメンバーの助けも受けながら、再起していきます。彼の最も有名な仕事、「落水荘」は、1936年に設計されました。フェローシップは拡張され、タリアセン・ウエストが、冬の授業の場として、アリゾナにつくられました。タリアセンは、建築の学校であり、フランク・ロイド・ライト財団として、フランク・ロイド・ライトが1932の設立時に考えたコンセプトを受継いでいます。 戦争期間中には、ほとんど設計はしませんでした。しかし、戦争が終わった後、フランク・ロイド・ライトの人生最後の時が、最も生産的なものでした。彼は270のプロジェクトに関わり、「プライスタワー」「スカイスクレーパー」「グッゲンハイム美術館」「マリン郡市民ホール」等、代表作を発表していきます。 フランク・ロイド・ライトは引退することなく、1959年4月9日にアリゾナで92歳のときに死にました。彼はウィスコンシンの墓地で埋葬されました。その後、1985年に、妻Olgivannaが他界したとき、彼女の希望で、フランク・ロイド・ライトの遺体も焼却され、灰はタリアセン・ウエストの彼女の墓の隣に置かれることになりました。彼のウィスコンシンの墓の墓碑銘は、 “Love of an idea,is the love of God” *建物の写真は、下記のwebsiteをたどって観て下さい。 | ![]() ![]() ![]() ![]() |
フランク・ロイド・ライトの書籍
| 巨匠フランク・ロイド・ライト デヴィッド ラーキン (編集) 鹿島出版会 | カラー写真をふんだんに使って,フランク・ロイド・ライトの作品を年代物のようにまとめている。写真は新しく撮影したもの。フランク・ロイド・ライトの言葉,パースやスケッチなども交えた。名建築と言われる「落水荘」には14ページを割いている。 | |
| フランク・ロイド・ライトの帝国ホテル 明石 信道,村井 修 建築資料研究社 | 実測と時期が重なった同ホテルの取り壊し状況とその観察を通して得られた知見等を豊富な写真、図面と共に紹介する。東光堂書店1972年刊「旧帝国ホテルの実証的研究」の改題改訂。 | |
![]() | タリアセン GAトラベラー 二川 幸夫,その他 単行本 (2002/06)エーデイーエーエディタトーキョー | 建築界の巨匠の作品を紹介するGAトラベラーシリーズ ・エレガント・ハウス |
| Fallingwater -落水荘- GAトラベラー (003)フランク・ロイド・ライト エーディーエー・エディタ・トーキョー | 上でも紹介したGAシリーズ。これだけは見ておきたい。 | |
![]() | フランク・ロイド・ライトのモダニズム 三沢 浩 (著) 彰国社 | 「ローテク」に徹し、地域や自然にこだわったフランク・ロイド・ライトの建築と思想を再考。 |
| ライトの住宅―自然・人間・建築 フランク・ロイド・ライト (著),遠藤 楽(翻訳) 彰国社 | 有機的建築を唱えたフランク・ロイド・ライト。翻訳の遠藤楽は、フランク・ロイド・ライトの弟子遠藤新の息子さん。 | |
| フランク・ロイド・ライト全作品 William Allin Storrer (著),岸田 省吾 (翻訳) 丸善 | ランク・ロイド・ライトが1886年から1959年の間に設計した建物のうち、実際に建設された470に及ぶ作品すべてを、取り壊された約100作品を含め、隠れたエピソードを交えて紹介。 | |
| フランク・ロイド・ライトのランドスケープデザイン Charles E.Aguar(著), 丸善 | 自然とのかかわりを意識したフランク・ロイド・ライトのランドスケープには独自の物がある。 | |
| ライトの遺言フランク・ロイド・ライト (著) 彰国社 | 建築家を目指す人にとっての座右の書 | |
| ライトの建築論フランク・ロイド・ライト (著), 彰国社 | 建築家を目指す人にとっての座右の書 | |
| ライトの都市論フランク・ロイド・ライト (著) 彰国社 | フランク・ロイド・ライトの描く都市には田園が広がっている。 | |
| 建築について 上 SD選書 建築について 下 SD選書 フランク・ロイド・ライト (著) 鹿島出版会 | SD選書は手軽に読める。 | |
| フランク・ロイド・ライト全集 (第1巻)フランク・ロイド・ライト A.D.A.Edita Tokyo | 昔はこれしかなかった。気に入った巻だけ買いました。 | |
| フランク・ロイド・ライト 自伝―ある芸術家の形成フランク・ロイド・ライト (著),樋口 清 中央公論美術出版 | 『自伝』の前半。残念ながら在庫切れ | |
| フランク・ロイド・ライト 自伝―ある芸術の展開フランク・ロイド ライト (著), 中央公論美術出版 | 前半「ある芸術の形成」に続く『自伝』の後半。フランク・ロイド・ライトは新しく得た伴侶の「励まし」を力に、祖父の開拓した田園に生活を立て直し、20年代末の大不況に見舞われるが、景気の回復により仕事に恵まれ、創意溢れる建物を次々と創り出すとともに、生活と仕事を組み入れた建築教育を推し進める。 | |
| フランク・ロイド・ライトの住宅 (第3巻)フランク・ロイド・ライト,二川 幸夫 | 手ごろなサイズと値段。好きな巻だけ持ってます。 | |
![]() | ユーソニアン・ハウスム理想のアメリカ住宅 フランク・ロイド・ライト スタイル カーラ リンド (著),その他 集文社 | フランク・ロイド・ライトがその長いキャリアを通じて挑戦した建築上の課題のひとつは、安価な住宅を、それもより高価な住宅の質に迫るものをいかに供給出来るかということだった。その解答がユーソニアン・ハウスであった。”ユーソニアン・ハウス”とは、彼自身がアメリカ合衆国のためにつくり出した言葉である。本書は、フランク・ロイド・ライト自身が、平均的なアメリカ人のライフ・スタイルに合わせて設計した進歩的な10棟あまりの住宅を紹介している。 |
フランク・ロイド・ライトのサイト


















































