ル・コルビュジエ
ピロティ、屋上庭園、自由な平面、水平連続窓、自由な立面。これがル・コルビュジエが提唱した近代建築の5原則。
ピロティとは、建物の1階部分を、壁で区切るのではなく、柱で支え、通り抜けられるようにした部分のこと。
こんな具合に、ル・コルビュジエは、地面、屋上、平面、窓、外壁を、それまでの規制から解放し、自由を与えようという原則を生み出した。これらの原則を具現化したサヴォア邸は、1931年に竣工している。

第1次世界大戦と第2次世界大戦に間にあたるこの時期には、様々なデザイン運動が誕生しているが、その多くは新しく手に入れた知識や技術をもとに、未来を信じ、これからの時代をより良くしていこうという確信に満ちた時代でもあった...と思う。
ル・コルビュジエにとっての、こうした(解放)運動の武器は、コンクリートという当時の新素材であったのだろう。それ以前の組積方式と違って、自由な形態を小さな断面で作り上げることができるコンクリートがあったからこそ、5原則もなりたったというわけだ。そしてもう一つ大きなことは、「モデュロール」というル・コルビュジエにとっての絶対的な拠り所を見つけだしたということなのかもしれない。
また、ル・コルビュジェに関しては、最近、原寸大模型を展示した大規模な展覧会が森美術館で開かれました。終了した展覧会ですが資料は残っています。こちらからご覧ください。
ル・コルビュジエ略歴
[Le Corbusier/1887.10.6〜1965.8.27]ル・コルビュジエは、スイス生まれの、建築家、デザイナー、都市計画家、著述家や画家でもある。なんといっても近代建築様式の確立者として有名。また、建築の世界に論理的な展開を持ち込んだパイオニアでもある。50年に及ぶ彼のキャリアは、フランス国内に留まらず、中央ヨーロッパ、インド、ロシア、北米、南米にまでおよぶ。 また、今日も流通するモダンな家具をデザインしている。1930年、フランス国籍を取得。1887-19131887年、ル・コルビュジエは、シャルル=エドゥアール・ジャンヌレ=グリ(Charles-Edouard Jeanneret-Gris)として、スイス北西の小さな町、ラ・ショー・ド・フォン(La Chaux-de-Fonds/フランスの国境までわずか5kmしか離れていない)で生まれました。 ル・コルビュジエは、ヴィジュアル・アートに興味を持ち、パリとブタペストに留学経験のあるシャルル・レプラテニー(Charles L’Eplattenier)のいる、ラ・ショー・ド・フォン美術学校(La Chaux-de-Fonds Art School)で勉強します。建築学の先生はルネ・シャパラッツ(Rene Chapallaz)で、初期のル・コルビュジエの建築に大きな影響を与えることになります。 ル・コルビュジエは頻繁に(やや地方脱出の雰囲気の中で)、ヨーロッパを旅します。 1907年のパリ旅行の際には、オーギュスト・ペレの事務所で働きます。オーギュスト・ペレは、 鉄筋コンクリートのパイオニア的存在です。 1910年10月から1911年3月(半年)の間には、ベルリンの近くで、ペーター・ベーレンスの元で働きます。この時、ベルリンで、ミース・ファン・デル・ローエやヴァルター・グロピウスにも会っていたと考えられます。これらの両方の経験が彼のその後のキャリアに影響を及ぼしました。 ル・コルビュジエは1911年の後半、バルカン半島やギリシャ・トルコを訪問し、多くのスケッチを描き、パルテノン神殿をはじめ、数多くの有名なスケッチは、後に出版された「建築をめざして(Vers une architecture (1923))」で見ることができます。 1914-1930ル・コルビュジエは、ラ・ショー・ド・フォン美術学校で教鞭を執り、第一次世界大戦が終わった後、パリに戻って来ます。 スイスでの4年間に、彼は建築理論の研究に取り組んで、近代的な技術をプロジェクトに使用することを考え出しました。 ドミノ・ハウス(Dom-ino”House(1914-1915))」 。これは、最小限の数のコンクリートの柱で、薄いコンクリートスラブを支えるという、オープンな床システムで、各階の片側を階段で繋ぐという物です。このデザインは、ル・コルビュジエのその後10年間の建築のための基盤となり、いとこのピエール・ジャン・ヌレ(Pierre Jeanneret (1896-1967))とともに実践にうつしていきます。 1918年、ル・コルビュジエは、キュビズムに幻滅した画家のアメデエ・オザンファン(Amedee Ozenfant;1886- 1966)に会い意気投合します。2人のコラボレーションが始まり、「キュビスム以降(Apres le Cubisme)」を1918年に刊行し、「ピュリズム」を唱え、雑誌「レスプリ・ヌーヴォー(エスプリ・ヌーヴォー。新しい精神)(L’Esprit Nouveau,1920年から1925年)」を刊行します。 このころ(1920年)から、「ル・コルビュジエ(Le Corbusier)」というペンネームはを使い始めます。これは、彼の母方の祖父の形(lecorbesier)を変化したものです。 1918年から1922年までの間、ル・コルビュジエは何も建ててはいません。「ピュリストの理論」と絵画に集中しています。1922年、ジャン・ヌレと共にパリにスタジオを開設します。 ル・コルビュジエの理論によって、いくつかの異なるタイプの住宅モデルが提案されます。その中の一つが、自動車「シトロエン」の名前をもじった「citrohan」で、現代産業のための方法や材料を使用しての住宅を提唱しています。ル・コルビュジエは、ここで3階建ての構造を提案し、2階分の吹き抜けを持つリビングルーム、2階のベッドルーム、3階の台所としています。 屋根は、サンテラスにもなっていています。建物の外部には、直接2階にアクセスできる階段が付けられています。 また、この時期のル・コルビュジエの他のプロジェクトとして、窓が連続したファサードをデザインしています。長方形のプランを持ち、窓が多くない白い外壁、インテリアは金属製のフレームで作られた可動式の家具で美しく整えられています。インテリアの壁も白です。 1922年から1927年の間に、ル・コルビュジエとピエール・ジャン・ヌレは、多くの住宅をパリに設計しています。
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都市計画当時、フランス政府は、パリのスラム街対策に失敗していました。ル・コルビュジエは、多くの人々の都市住宅の危機に対応する、効率的な方法を求めました。1922年には、プロジェクトをスタートさせています。ル・コルビュジエのプロジェクトのスキームは、3000000の住人を想定するものでした。
contemporary city (1922) 死医者の命令に反して、 1965年 8月27日 、ル・コルビュジエは、地中海のroquebrune -キャップ-マーティに海水浴にいき、彼の体は海水浴客によって発見されました。午前11時ごろ、心臓発作によって亡くなったようです。77歳でした。 ル・コルビュジエの葬儀は1965年 9月1日、ルーブル宮殿の中庭で、著述家でフランスの文化部長官のアンドレ・マルローの指導の下で行われました。 建築の5つのポイントル・コルビュジエは、ヴィラ・サヴォワ(1929年〜1931年)で簡明に表現した建築の5つのポイント(それは、1920年代を通じて研究してきたものですが)については、雑誌「エスプリ・ヌーヴォー」と彼の著書「建築をめざして」に書いています。 ![]() ![]() 建築の5つのポイント(1926)
モデュロールル・コルビュジエは、黄金比で明確に示される「モデュロール(mojyurol)」というシステムを、建築の比率に使用しています。 ル・コルビュジエは、このシステムをウィトルウィウスやレオナルド・ダ・ヴィンチの”ウィトルウィウス・マン(大の字になった人を円が囲んでいる例の絵のこと)”や、建築の機能の表現に人体比例で使用したレオン・バッティスタ・アルベルティや他の建築家などの、伝統を継承するものとみていました。
ル・コルビュジエはレオナルドの提案である、人体のプロポーションの黄金比化を”徹底して”採用します。ル・コルビュジエは、モデル人体の高さを、黄金比を使って、へその高さで2つに分割し、次にそれら分割されたものを、さらに黄金比を使って、ひざの高さやのどの高さへと、細分化して進めていきます。これが、ル・コルビュジェの黄金比を使ったモデュロールシステムです。 1927年に建てられたヴィラ・シュタインは、ル・コルビュジエの示したモデュロールシステムの実例です。長方形の建物の、大まかな平面・外観・内部構造は、おおよそ黄金比となっています。 ル・コルビュジエは、この調和とプロポーションのシステムを、彼のデザイン哲学の中心に置いています。
家具
ル・コルビュジエが家具のデザインを始めた1928年、シャルロット・ペリアン(Charlotte Perriand/1903〜1999)が、ル・コルビュジエのスタジオに参加。ピエール・ジャン・ヌレも多くのデザインに協力しています。 シャルロット・ペリアンが参加する以前は、トーネットが製造したシンプルな既製家具などに頼っていました。 1928年に始まったル・コルビュジエとペリアンの家具製作に際して、ル・コルビュジエは、「今日の装飾芸術(L’Art Decoratif d’aujourd’hui)(1925)」に記したことを実践します。 本の中では彼の家具の種類の異なる3つの定義(type-needs,type-furniture,and human-limb objects)を行っています。「人間的な家具は、”私たちの手足の延長であり、人の行動を受入れるべき物”である。家具は人間の従順な使用人である。良い使用人とは、主人の自由のために働く物で、芸術作品は、道具...美しい道具である。また、選択の余地、繊細さ、プロポーション、調和によって、良い製品であり続ける。」
B306 Chaise Longue(1928) 1964年、ル・コルビュジエがまだ生きている間に、ミラノのカッシーナ・スパが権利を獲得し、全世界で独占的に製造していました。 今日では、多くのコピーが存在しますが、カッシーナだけが、ル・コルビュジエ・ファンデーションに認められたメーカーです。 |
![]() LC1 アームチェア | ![]() LC2 ソファ | ![]() LC4 シェーズロング | ![]() LC4 回転チェア |
ル・コルビュジエの主要な建物やプロジェクト(画像リンク)
- 1905 –Villa Fallet,La Chaux-de-Fonds,Switzerland
- 1912 - Villa Jeanneret-Perret,La Chaux-de-Fonds
- 1916 –Villa Schwob,La Chaux-de-Fonds
- 1923 - Villa LaRoche/Villa Jeanneret,Paris
- 1924 - Pavillon de L’Esprit Nouveau,Paris (destroyed)
- 1924 - Quartiers Modernes Fruges,Pessac,France
- 1925 - Villa Jeanneret,Paris
- 1926 - Villa Cook,Boulogne-sur-Seine,France
- 1927 - Villas at Weissenhof Estate,Stuttgart,Germany
- 1928 - Villa Savoye,Poissy-sur-Seine,France
- 1929 - Armee du Salut,Cite de Refuge,Paris
- 1930 - Pavillon Suisse,Cite Universitaire,Paris
- 1930 –Maison Errazuriz,Chile
- 1931 - Palace of the Soviets,Moscow,USSR (project)
- 1933 - Tsentrosoyuz,Moscow,USSR
- 1936 - Palace of Ministry of National Education and Public Health,Rio de Janeiro
- 1938 - The “Cartesian”sky-scraper (project)
- 1945 - Usine Claude et Duval,Saint-Dies-Vosges,France
- 1947-1952 - Unite d’Habitation,Marseille,France
- 1948 - Curutchet House,La Plata,Argentina
- 1949-1952 - United Nations headquarters,New York City (project)
- 1950-1954 - Chapelle Notre Dame du Haut,Ronchamp,France
- 1951 - Cabanon Le Corbusier,Roquebrune-Cap-Martin
- 1951 - Maisons Jaoul,Neuilly-sur-Seine,France
- 1951 - Mill Owners’Association Building,villa Sarabhai and villa Shodan,Ahmedabad,India
- 1952 - Unite d’Habitation of Nantes-Rezantes,France
- 1952-1959 - Buildings in Chandigarh,India (with Iannis Xenakis)
- 1952 –Palace of Justice (Chandigarh)
- 1952 –Museum and Gallery of Art (Chandigarh)
- 1953 –Secretariat Building (Chandigarh)
- 1953 –Governor’s Palace (Chandigarh)
- 1955 –Palace of Assembly (Chandigarh)
- 1959 –Government College of Arts(GCA) and the Chandigarh College of Architecture(CCA)(Chandigarh)
- 1956 - Museum at Ahmedabad,Ahmedabad,India
- 1956 –Saddam Hussein Gymnasium,Baghdad,Iraq
- 1957 - Unite d’Habitation of Briey en Foret,France
- 1957 - National Museum of Western Art,Tokyo
- 1957 - Maison du Bresil,Cite Universitaire,Paris
- 1957-1960 - Sainte Marie de La Tourette,near Lyon,France (with Iannis Xenakis)
- 1957 - Unite d’Habitation of Berlin-Charlottenburg,Flatowallee 16,Berlin
- 1957 –Unite d’Habitation of Meaux,France
- 1958 - Philips Pavillon,Brussels,Belgium (with Iannis Xenakis) (destroyed) at the 1958 World Expositon
- 1961 –Center for Electronic Calculus,Olivetti,Milan,Italy
- 1961 - Carpenter Center for the Visual Arts,Harvard University,Cambridge,Massachusetts,United States
- 1964 -1969 Firminy-Vert
- 1964 - Unite d’Habitation of Firminy,France
- 1966 - Stadium Firminy-Vert
- 1965 - Maison de la culture de Firminy-Vert
- 1963 –67 - Center Le Corbusier,Zurich ,Swizterland
- 1969: Church of Saint-Pierre,Firminy,France,constructed posthumously and completed in 2006
![]() ジャネレ・ペレ邸 (Villa Jeanneret-Perret ) | ![]() | ![]() ル・コルビュジエのピュリズムの絵画 |
![]() ル・コルビュジエのスタジオ | ![]() ラ・ロッシュ=ジャンヌレ邸 (Villa La Roche-Jeanneret) | ![]() |
![]() サヴォア邸 (Villa Savoy) | ![]() | ![]() |
![]() ロンシャンの教会 (Chapelle Notre-Dame du Haut) | ![]() | ![]() |
![]() マルセイユのユニテ・ダビタシオン (L’unité d’habitation de Marseille) | ![]() クルチェット博士邸 (Maison du Docteur Curutchet) | |
![]() シャンテガール (Chandigarh) | ![]() | ![]() |
![]() ラ・トゥーレット修道院 (la Couvent de la Tourette) | ![]() | |
![]() フィリップス・パビリオン (Philips Pavillon) | ![]() フィルミニーのサンピエール教会 (Church of Saint-Pierre de Firminy) |
ル・コルビュジエの著作
| 建築をめざして (SD選書 21) 1923 –Vers une architecture | |
| ユルバニスム (SD選書 15) 1925 –Urbanisme | |
| エスプリ・ヌーヴォー 近代建築名鑑 | |
| 今日の装飾芸術 (SD選書 10) 1925 –L’Art decoratif | |
| 輝く都市 (SD選書 33) 1935 –La Ville radieuse | |
| アテネ憲章 (SD選書 102) 1942 –Charte d’Athenes | |
| 建築家の講義 ル・コルビュジエ (建築家の講義) 1943 –Entretien avec les | |
| モデュロール 1 建築および機械のすべてに利用し得る調和した尺度についての小論 (1) (SD選書 111) 1948 –Le Modulor | |
| モデュロール 2 発言は使用者に ル・モデュロール1948年の続編 (2) (SD選書 112) 1955 –Le Modulor 2 | |
| ル・コルビュジェの手帖 東方への旅 1966 –Le Voyage d’Orient | |
| 小さな家 | |
| 伽藍が白かったとき | |
| 住宅と宮殿 (SD選書 154) | |
| 建築十字軍 アカデミーの黄昏 | |
| 三つの人間機構 | |
| 四つの交通路 (SD選書 142) |
ル・コルビュジエに関する書籍
ル・コルビュジエに関するサイト
| ル・コルビュジエ財団公式サイト | まずはここから。ル・コルビュジエの正式なバイオグラフィー、プロジェクトのスケッチ、貴重な写真も豊富。プロジェクトの年表があるので、確認にも便利。 |
| 大成建設 コルビュジエ アーカイブ | ル・コルビュジエの図面やスケッチ、展覧会に出品された模型などを見ることができる。ル・コルビュジエの建物を見に行く時のガイド的な機能も備えている。 |
| 森美術館「ル・コルビュジエ展」資料 | 資料がまだ残っている。ル・コルビュジエの全体像を知るには最適な資料となっている。 |


























Villa Jeanneret-Perret(Maison blanche) 1912









黄金比のシステムに加え、ル・コルビュジエは、人体計測、フィボナッチ級数、ダブルユニットをベースにしています。



























